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上杉謙信

上杉謙信といえば、武田信玄との戦いが有名。上杉謙信は武田信玄と戦国の双璧をなし、自ら「毘沙門天」の転生であると信じ、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれます。出家前の名は長尾景虎(ながお かげとら)です。室町幕府最後の関東管領でもある上杉謙信の歴史・年表をたどってみましょう。

また上杉謙信は、伝説的なカリスマ性、指揮統率能力の高さ、正確無比の速攻戦法、生涯無敗という功績からか、軍神と呼ばれることもあります。

上杉謙信女性説!?

上杉謙信が実は女だったのではないかと言う、上杉謙信女性説というものがあります。現在の肖像画は江戸時代にかかれたもので、その秘密を隠すために、ヒゲをはやしたのだとかいう話もあります。同性愛者なんていうよろしくない噂も上杉謙信が女性だったなら、分かるかもしれません。本当かウソか分かりませんが、軍神の異名を持った謙信が女性だったかも知れないなんて、今の世の中の男たちに聞かせてやりたいですね(笑)

上杉謙信の墓

上杉謙信の墓は、維新後に米沢藩の歴代藩主が眠る上杉家廟所(山形県米沢市)にあります。また、上杉謙信生誕ゆかりの地の春日山林泉寺(新潟県上越市)と高野山にも墓があるそうです。

上杉謙信の戒名は「不識院殿真光謙信」。不識庵と関係あるんでしょうかね?また晩年には真言宗に傾倒し、高野山金剛峰寺の清胤から伝法潅頂を受け阿闍梨権大僧都の位階を受けています。

上杉謙信は新潟県上越市の春日山城に生まれました。誕生日は1530年2月18日。越後国の守護代を務めた長尾氏に生まれ、家系図的にはつながりの無い上杉憲政から上杉姓と関東管領職を譲られ、周辺の武田信玄、北条氏康、織田信長らと和戦を繰り広げました。上杉謙信対織田信長なんてすごいですね。まさに戦いの生涯だったようです。

上杉謙信の家臣の中でも特に評価の高い25名は、上杉二十五将と呼ばれています。謙信の一生を支えた武将たちです。直江兼続は入っていないようです。

性格は女性的な気配りがあり、その点も女性説につながっているようです。また「第一義」をモットーにしたそうですが、「第一義」の仏教での意味は「最もすぐれた道理、究極の真理をさす」もので、「物事の枝葉末節を取り除いた後に残る根本のこと」だそうです。

上杉謙信の家訓や名言、本・夢小説やコス、コミックもあると思われます。愛刀・兜・鎧・杯や館、家紋・旗印・軍旗の画像・写真、また、像も見てみたいですね。小田原攻めや経済政策なども気になります。上杉謙信の宝探しなんてのもいいですね。

ただ上杉謙信は、1569年、ライバルであった武田信玄に塩を送ったりしたという逸話(エピソード)から、義に厚い性格というのも言えそうです。敵をもてなし、かす、ですね。武田信玄と上杉謙信は5次にわたる川中島の戦いをしています。

ゲーム「戦国basara」「戦国無双」にも当然出場。上杉謙信キューピーや、上杉謙信キティなんていう上杉謙信グッズもあるそうです。オークションで販売されていますね。

NHK大河ドラマ「風林火山」では上杉謙信役をGackt(ガクト)さんがやるそうですね。今から楽しみです。