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豊臣秀吉2

豊臣秀吉は戦い方の名手であったとも言われ、一夜で城を建てたエピソードなどは有名ですね。

豊臣秀吉のプロフィールをすべて知りたいところですが、やったことについてはこんなところで。その人生や系図は不思議な一生でした、戦い方・エピソードについても色々ありますのでクイズにしたいところですが、豊臣秀吉に関してはやめておきます。

豊臣秀吉の誕生日・生年月日は1537年3月26日。よく残っているものだと思います。豊臣秀吉の血液型はO型だそうです。ちょっとしたトリビアですね。

家系をみると、豊臣秀吉の子供はまず鶴松。幼名は捨(すて)でわずか3歳で病で死。「捨」という名が悪かったのだと、次の子の豊臣秀頼は幼名は拾丸(ひろいまる)と名づけました。

天草四郎が豊臣秀吉の子孫だなんていう本当かウソか分からないエピソードもありますね。

豊臣秀吉が死の時に読んだ辞世の句は「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」。大阪城も天下統一も夢のようなもので、死んでいくときには何にもならない、華やかな生活も夢・幻のようなものだったとの言葉です。

豊臣秀吉の墓は、京都東山の阿弥陀ヶ峰(現在の豊国廟)に葬られ、豊国大明神として豊国神社(京都)に祀られました。しかし、徳川三代将軍家光の時に幕府により廃されてしまいました。明治になり日光東照宮(徳川家康の墓)の相殿に祀られ、豊国神社は再興されました。豊臣秀吉の墓は、高野山奥の院にもあります。

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