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明智光秀と本能寺の変

明智光秀と言えば、主君の織田信長を本能寺の変で殺したということで有名ですね。(光秀の三日天下)その明智光秀の歴史と年表からその一生に迫ってみましょう。

本能寺の変で明智光秀が織田信長を殺した理由には、どのような関係があったのかについては未だに解説が複数あり謎です。どのような願いで、明智光秀が本能寺の変を起こしたのか分かりませんが、少なくとも光秀の生涯を決めた事件であったことは間違いないでしょう。

豊臣秀吉は、織田信長の死を聞くとすぐに山崎の戦いで明智光秀を破っています。豊臣秀吉にとっても大きな転機だったといえるでしょう。

明智光秀の子孫として有名なのは、細川ガラシャですね。明智光秀の三女で細川忠興の妻、キリシタン女性として有名です。細川ガラシャの子孫は細川護煕元首相に続いています。他にも明智光秀の末裔は様々あります。

明智光秀の伝説?としては本能寺の変の後、豊臣秀吉に討たれることなく生きていて南光坊天海という僧になったという生存説があります。天海僧正は江戸時代初期に徳川家康のブレーンとして活躍した僧で、その経歴には不明な点が多いです。実際の二人の関係が気になるところです。

明智光秀の画像や肖像画写真、家紋はなかなか立派。戦国basaraでもいい感じですね。