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徳川家康

徳川家康の戦い方は全国統一のために色々工夫されたものなのでしょう。家紋、血液型についてはなかなか難しいようですが、ウエストは太そうです(笑)大河ドラマでも徳川家康はよく取り上げられ、Wikipediaでも色々と書かれています。

本も多く出版され、像や言葉は今も数多くの人を感動させます。悪いところもあったでしょうが、好きものかどうかは別として、株式会社徳川家康なんてのもおもしろいですね。語録を作ってもいいかもしれません。

徳川家康の子供時代・生い立ちは人質としての生涯でした。好き物ではないかと噂されるのもその点に関係あるのかもしれません。しかし、江戸幕府を作り上げたのですから、歴史人物の中でも徳川家康ほど成功した人はいないでしょう。戦略・政策について詳しくは分かりませんが、誕生日は1543年1月31日とのこと。

左近衛大将なんていう役職についたこともあり、兜は現在にも残っているようです。生活は色々で、江戸城のほかに二条城も構え、長所もあったのでしょう。

徳川家康は、天下統一をした人ということで、その一生や性格は今も多くの人が知りたいと思っているようです。画像や写真・肖像画・絵も多く残り、数々の名言・家訓を残した徳川家康の秘密やプロフィールを誰もが知りたいと思うのでしょう。

『影武者徳川家康』(かげむしゃとくがわいえやす)という時代小説も出ています。

しかし、その遺訓は「人の一生は重荷を背負うて、遠き道を行くがごとし」とのもの。一生重荷を下ろすことはできなかったと述懐しています。数々の戦いに勝利し、江戸幕府を開き天下を統一、壮大な江戸城を構え、日光東照宮という立派な墓まで立てた徳川家康であっても、釈迦の金言「人生は苦なり」を実証しただけだったのかもしれません。

徳川家康と言うと、顔はふっくらながらも鋭い眼光をたたえ、「狸おやじ」と評されるように、腹黒い性格のように思われがち。しかし、山岡荘八の小説、「徳川家康」では、少年の頃から我慢に我慢を重ねて、逆境や困難にも決して屈することもなく先見の明をもって勝利を勝ち取った人物、平和を求める理想主義者として描かれています。

そこで、山岡荘八の小説により、徳川家康の性格の見直しが始まり、現在は家康を苦労人・不屈の精神力の持ち主として高く評する人もいます。

確かに家康の生涯は苦労に苦労を重ねた生涯でした。少年の頃から人質に出され、徳川家康公の名言として知られる「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の言葉も家康の苦労の一生を感じさせます。

また徳川家康の死因は毒殺ではないかという噂もありますが、胃がんで死んだというのが定説のようです。

徳川家康の妻としては、正室:今川義元の姪・築山殿、継室:豊臣秀吉の妹・朝日姫、側室:西郡局、養珠院、西郷局、ほかがありました。

では、ここで徳川家康クイズ!

Q:徳川家康の墓で栃木県日光市にある神社の名前は?

A:『日光東照宮』です。日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は栃木県日光市にある神社で、江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀っています。