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豊臣秀吉

豊臣秀吉は家紋も立派。また秀吉の妻として、正室は高台院(「北政所ねね」とも呼ばれる)で、側室は淀殿(淀君)が有名です。豊臣秀吉は淀殿を「茶々」と呼び溺愛したそうです。

政治として行ったことでは、検地・刀狩(刀狩り)は有名ですね。実は検地は他の大名も行っていたので、豊臣秀吉がやったものは太閤検地と呼ばれます。刀狩令は農民の反乱を防ぐ目的だったようです。

秀吉は、伊達政宗も家臣とし、生活・暮しは華やかなものだったそうで、歴史人物の中でも豊臣秀吉ほど成功した人はいないでしょう。多くの女性とも関係をもったようです。

名言も多く残り、神号は豊国大明神、戒名は国泰祐松院殿霊山俊龍大居士となっています。

豊臣秀吉の秘密としては、お伽衆鞘師(さやし)ですね。結構謎なようです。

豊臣秀吉の弟、秀長は、兄の行なおうとした朝鮮出兵には反対していたそうです。そのため、朝鮮出兵や千利休切腹、豊臣秀次事件などの秀吉の乱行は秀長の死後に起こっています。豊臣秀長がもう少し長生きしていたら、歴史は大きく変わっていたかもしれません。

また、豊臣家の家計図を見ると、豊臣秀吉の妹は朝日姫。徳川家康の正室となっています。

各種の資料から、趣味は多彩であったと考えられます。茶の湯の千利休も有名ですね。