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明智光秀

明智光秀は「主君殺し」の汚名を着せられることが多いですが、意外な事実として、実際は諸学に通じ、その人物像・性格は和歌・茶の湯を好んでいた文化人であったこと、また内政手腕に優れ、領民を愛して善政を布いたといわれ、現在もかれの遺徳を偲ぶ地域が数多くあります。

光秀を題材とした小説では司馬遼太郎著『国盗り物語』なんかがありますね。

光秀の正確な誕生日はよく分かりませんが、家系としては父は明智光綱、母はお牧の方という女性でした。

妻は煕子(ひろこ)。光秀が重病となった時にも必死に看病したものの、自身がその看病疲れが元で病死したといいます。煕子と光秀との間に生れた娘が後の細川ガラシャ(幼名:玉)です。他に側室もいたはずですが、なぜか、ひろ子以外の名前が残っていません。桃丸ですし、明智光秀の略歴です。

明智光秀の墓は謎です。首塚や鎧兜も残っているはずなのですが情報がつかめませんでした。どんな顔だったんでしょうね。戦国バサラのイラストではかなりの美男子で、衣装も立派ですが(笑)

明智光秀は城もいくつか持っており、その時の領地では今も光秀をたたえているところがあるそうです。光秀ゆかりの地としては京都府京都市中京区にある本能寺が一番ですね。

辞世の句は「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す」だそうです。

明智光秀が出演するゲームとしては「戦国の覇王」「信長の野望」「戦国無双」「戦国バサラ(basara)」「戦国バサラ2(basara2)」などがありますね。漫画もあるはずです。